ある日の路上教習中、私の担当する生徒が口を開いた。この生徒は容姿イケメン、性格は社交的で感情を表に出すタイプ。一見するとチャラ男であるが教習態度はまじめで貪欲 な男子である。
「やっぱ、今日は楽ッスね」
たしかに今日は雪もなく、それでいて日差しが眩しいわけでもない運転しやすい環境だ。 だが、どんな状況でも注意を払わなくてはいけないのが車の運転である。安易な返答はできまいと思い、こう返した。
「なにが?」
すると、全く予想外の答えが返ってきた。 「○○先生だと、どんな感じで教習するか知ってるんで楽ッス」 「そっちか」と思いながらも話を続けた。「それはお互い様だよ。オレも○○クンの雰囲気を知ってるから、すんなり教習に入れるからね」
社交辞令でも何でもない、本音である。正直、担当外の生徒のときは、運転習熟度と性格がどんな様子なのかを探りを入れながら教習を進めるので、余計なところで少々気を使う。「このあいだ、先生が休んだ時に他の先生と教習したんスけど、教習が終わるころになんとか慣れましたよ」
さすがに私は指導員なので、生徒に慣れるのにそこまで時間はいらないが、似たようなことは感じるものだ。 「まあ、でも雰囲気が慣れないだけで教習内容自体はよかったんでしょ?さらにできるよう になってるよ」「おだてないでください。でも違いがわかってくれてイイっす。やっぱ楽ッスよ」
親しみを込められているのかナメられているのかは定かではないが、いずれにせよ、そう言ってくれると素直にうれしいし、あらためてお互いの心と心がマッチングしていると実 感させられる。
そんなことを思いながら、この日も担任による教習という「日常」を遂行していった。
◎担任制は、実地指導(運転)に入るまでが非常にスムーズである
☆ 教習に適した環境づくり
通常、教習を開始するのにあたっては、生徒の緊張をほぐし、かたさを取り除く時間が必要になってくる。これなくしては指導する側が、いくら話をしても生徒は覚えられるものも覚えられないのである。これが面識のない生徒であれば、担当の生徒の時より時間を費やすことが往々にしてある。これは思いのほか一苦労である。
担任制であれば、生徒の人柄を理解できているので教習への入り方がスムーズである。
☆ 技量の確認
担当している生徒の技量は、もちろん知っている(だから担任なわけだが)。前回どこまで教習したか、どんな失敗があったかを記録(メモ)だけでなく記憶で把握できているので、これから50分で行う教習の計画がたてやすい。担当外の生徒であっても、一応は記録・引き継ぎ等でおおむねの情報は徔るが、どうしても細かいところまでは把握できない。よって生徒本人に質問をするなどして技量の程度を確認するが、中には前回自分がどんなことを練習・失敗したのかを覚えていない生徒もいたりして意外とあてにならないことがある。
例えば、教えられていないことを「教えられた」と答えたり、その逆に「あ、それやりました」と散々説明した後に言われたりすることも結構あるものだ。あるいは前回の教習で、できもしなかったのに「できました」と見栄を張る子(できたと思っている子)もいて、結果的に教習時間がおしてくることがあり十分修正できなかったりする。
担任制であれば、前述の滞りがなく実地指導開始(運転)までのタイムロスが少なくて済むし、50分(1時限)の教習内容もリズムよく充実したものになる。制限時間をいかに効率よく指導と運転に使うかで技能の習熟度の向上と履修単位の早期達成はより可能となり、最終的に卒業までの在籍期間を大幅に短縮することができる。
その裏付けが下の表である。
*3月の入所生は現実的に3月中に卒業するのは困難、あるいは目指していない方が大半のため集計に入れていません。
我が校は過去2年、いずれも4校平均を上まっているし、2月までに卒業させる力は突出していると言える。
要因としては、前述の担任制によるところが大半を占めるが、他にも教習枠拡大のための早期の夜間延長教習の実施、教習間隔の「空き」のない、かつ「飽き」のこない配車、高校生集中時期に対応するべく各高校の行事等をも考慮して作成された時間割、指導員のみならず受付や送迎員等全職員による教習生に意欲を出させる絶妙なハッパのかけ方、 検定の高い合格率等、多岐にわたる。手前みそではあるが、本当によく考えられていると思う。
◎自動車学校選びは先輩に聞いてみて
我々にとって、後輩に我が校を紹介してくれる卒業生が存在するのは非常にありがたいことである。
こんなことがある。 「○○先生ですよね?○○先輩からはウワサに聞いています。あと△△先生ってどの人ですか?」
どんなウワサか知らないが、初めて会う生徒にこういう聞き取りをされるのは結構ある。 入校してくれたということは、悪いウワサではないのだろう(そう願いたい)。この手の会話があると教習の雰囲気は上々である。
また、「○○先生が良かった」というたぐいの口コミを基に入校してくれた生徒に対しては、自然と違った気合が入ってしまうのもある。「期待を裏切らないように」という気持ちが働くからである。もちろん全ての生徒に公平な指導・振る舞いを行わなければならないが、指導員も人である。いつにも増して意欲が湧きあがってくるのが本音のところだ。結果的にそれがまた良い口コミになっていければオーライであろう。
下の表は過去2年の高校3年生(年代)の入所状況である。
2年連続で我が校の入所者数はトップであった。前述の先輩からの情報を参考に当校を選んでくれている入所者、そして兄、姉、あるいは親御さんに次いでの入所者もいることから、口コミの印象度は計り知れないものがあると感じる。また、入所者の中には兄弟は某校に通ったけれど親から「えさしに行け」と言われたという江刺区以外の生徒もいる。
昔から消費者は売る側の手前みそ的広告よりも、経験者や購入者の感じた良し悪しを判断材料にして商品やサービスを購入する方法はある。近年はその傾向が強いネットショッピ ングやオークションが一般化し、私自信もバイク用品をその方法で購入することが時々ある。 正直、商品や店の信頼性についてはかなり不安なわけでだからこそ「口コミ・レビュー」 や「出品者の評価」を頼りに検討し少しでも安く、より自分のイメージに合った品質の商品を購入しよう(僅かな小遣いから)と、パソコンと格闘している。
この様な商品の購入方法が実は教習所選びにも当てはまるとしたら我々にとっては非常に嬉しいことである。(しかし、プレッシャーを感じないわけではない。好評判で入校したけど実はたいしたことないなんて「がっかり」させない仕事をしよう。)
◎親の気持ちを知ってみた
ところで、私も近々免許取得予定の子供(高校生)を持つ身であるため、教習所のあるべき姿(求めるところ)を、親の立場から考えることが多くなっているが、はたしてどんな教習所が理想なのだろうか?
まず真っ先に心配するところは教習料金だと思っていたが最近は違う。たしかに安いことにこしたことはない(我が校も低価格の料金設定は他校の追従を許していない)。高校卒業後、就職のための車の購入とか、大学に行く費用とかを考えると 10円でも安いのは助かる。
しかし、最近は料金以外のところを求めている声が気になって仕方がない。
実際、生徒の親から我が校を選択した理由を聞いてみると「先輩、兄、姉の担任だった先生がいる」「知っている人が働いている」「地元なのでアウェー感がない」「新生活が始まる前に免許取得ができる」「高校卒業後の就職や進学に間に合うスケジュールを組んでもらえること」等々、料金以外での安心感と信頼感を連想させる言葉が並ぶ。
そして、同じ親として一番共感したのが 「車の運転は人命にかかわるものだから厳しく指導してほしいと言いつつも、親バカなので子供がつらさを感じているのを見るのは忍びない。担任制だと子供の気質や性格を読める指導員とそれに合った指導ができそう」 との身に余るお褒めの言葉・・・まさに、これこそ順法精神の醸成にもつながる。それにはやはり担任による一貫教育に尽きると思えた瞬間だった。
そこで一句
えさしなら 安心感と信頼で 免許を取れる 担任制
指導員 のびたろう